QQnasino’s blog

ゲームの個人的な感想

ツイステ6章後編2における個人的所感

はてなブログでははじめまして。なしのと申します。
最初、Twitterに連携するツールでこの内容を上げようかと考えましたが、あくまで個人的な感想であるのと、今後はブログにてゲームや作品に対する感想の備忘録を付けたいなと考えた為ブログを開設しました。故に内容はTwitterに即した文面になっていることを先にお詫びします。

以下、余計な装飾を省くため、語調が慇懃になることをお許しください。ゲームのネタバレ前提の記事です。

 



これは私の個人的感想・疑問点である。

八割ネガティブな言葉が並ぶが、一ユーザーとして「プレイ中感じたことを記録したい為」、Webに残しておく。
一部アンチにも見えるかもしれないし、そう第三者が捉えるのは自由だ。だが大前提に、「ゲームを楽しみたい気持ち」を持つ人間であることを此処に表明しておく。




さて。
前置きが長くなるが、私の一ユーザーとしてのバイアスを先述する。いわゆる推しキャラである。バイアスがあるため公平に物事が見られないと思う為、先に言い訳がましく記しておく。
私は兄弟組推しだ。
幼馴染や家族などの関係が特に好きで、距離が近いからこそ生まれる相互不理解や、依存からの脱却、関係の修復や発展を見守るのが大好きだ。

六章はまさにその「兄弟」――シュラウド兄弟について、語られるのだろうと楽しみにしていた。
が、それ以前の問題があり、私は上手く物語に没入出来なかった。

兄弟の回想に、上手く感情の周波が合わなかったのだ。
無論、シュラウド兄弟に起こった過去について、これまでの台詞や物語で示唆されていた為、新鮮味は少なかったと思う。

しかし、「真新しさがない(驚きがない)」ことと、「面白くない」ことはイコールではない。
世界的に有名な物語の顛末だろうと、演出一つ、台詞一つで読者の涙を引き出すことは可能である。それは先に何度もリメイクされている同題の映画、漫画、文学が証明している。

では何故私は、イデアの慟哭に、冷淡だったのか。
一重に「ストーリーに没入出来なかった」からである。

なおこの理由に、ユーザーのかたがたが議論しているミニゲーム・新システムは含まないものとする。
というのもそれらは単に「ユーザーのメイン層にハマらない新要素を、イベント等でのテスト実装もなしに本編に入れたら不満が出るのは当たり前」だからである。

では私は何が原因で没入出来なかったのか。
一番の理由はこれだ。

・キャラ設定に矛盾があり、それを解消するエピソードがなかった

これは以前から各クラスタが話しているのを目にしていた。
が、愚鈍な私は大半を気付かず、或いは(キャラクターの根幹部分が揺れない限りは上手く咀嚼しよう)と努めていた。
なお、この根幹部分というのは、ツイステに限って言えば「元のモチーフヴィランから与えられた要素」であるし、キャラクターゲームであれば「初期に提示された、キャラの行動原理(意志)」になる。
そこさえ揺らがなければ、私はツイステのキャラを愛していけるだろうと思い込んでいた。

過信だった。
私は私の不満を上手く飼いならせなかった。

例えば分かりやすいところで言えばルークの転寮設定。
脳内に描かれたサバナクローの寮服を着たルークは野性味があって私はとても好きだ。好きだが何故、とも思う。言わずや寮服ボイスと矛盾しているからだ。

設定というのは、物語が積み重なると共に増えるものだ。
なので初期の頃にはそのキャラがしなさそうな事が、後々設定として付随しても、基本的には私は良いと考える。
しかしそれは前提として、「初期設定ありきのもの」であり、「初期設定を壊すもの」ではないと考える。初期設定が壊れてしまえば、そのキャラがキャラたり得なくなるからだ。

ルークがネージュファンなのは良い。美を求めるルークにとって、ネージュこそが彼が見付けた美の発露、生きる軸なのだろう。
原作的観点からも狩人が白雪姫を眩く感じるのは矛盾がない。

サバナクローから転寮したのであれば、そも寮服台詞に矛盾する言葉を入れてはいけない。
ユーザーとは、読者とは、先に出た台詞を軸に未来を視る。ポムフィオーレに選ばれた事を誇りにするルーク・ハントを視て、愛しく思い、彼の活躍や過去を見たいと願うのではないだろうか。
寮服のルークの言葉を愛した監督生は、この世に必ずいるのだから。


また、小さな(あくまで私にとってはとても傷を受けた部分だが、サーチしたところ言及されてるかたは片手ほどだった)違和感としては、タワーを降りる最中のアズールとリドルだろうか。
あの二人はこれまでとても思い入れがあり、特にアズールは計算高く、対人関係での位置取りが上手い部分が好きだった。様々な分野に手を出し成功する様はまさしく蛸の脚を思わせて、目標に貪欲な姿勢は見習いたいと思っていた。

あの稚拙な癇癪はなんだろうか。
重大な問題を前に、一度は腹に収めた事で触発する二人だろうか。
これは誰だろうか。

無論これは個人的なキャラ解釈がただ否定したがってるだけだろう。
しかし解釈とは、それまで公式が提示してきた設定から生まれるものである。無論様々な思惑で継ぎ足され、化け物のようなおぞましさも内包してることもあるだろうが、ベースとして私個人は、原作での初期設定・成長を軸とする。

成長とは、アズールでいえば3章の騒動だ。狡猾に得たものが砂にされ、絶望し、我欲のまま暴れた後。まっとうな方法で新たな一歩を踏み出した筈だ。感情を整理した筈だ。
リドルであれば薔薇乱れる庭の果て、暴政の果て、今一度王としての自覚をした筈だ。自己をかえりみた筈だ。
二人とも、醜い己の自我を自覚した筈だ。

忘れてしまったのだろうか。
何故、二度も醜さを露呈する。
しかもそれをお互いに踏ませ、争わせ、最悪な印象を与えるのか。

無論ストーリー的に、リフレインを入れるのはままある事だ。
大前提になる問題を決戦間際に提示し、その解決をもって難関を突破、カタルシスを得る手法は漫画や映画に多い。
実際六章終盤のバトルはそのカタルシスの理論で組まれていた。
だが、私個人はまったく感動しなかった。抱き合うアズールとリドルを見ても、心は冷めていた。
理由はカタルシスを得るため必要な共感がなく、盛上げまでの道程が破綻しており、私の感情が置いてけぼりのままストーリーが進んだからだ。


途中各チームに課せられたミニゲーム、及び当たりを引くまで次に進めないバトル。
これらに付随するチームのやりとりに、私は酷い不快感を覚えた。

アズールがまるでリドルを持ち上げるような言動ばかりするのだ。

無論、それ自体は気にしない。彼は人をおだて、そそのかしては自分の意のままに相手に契約をさせるイメージがある。
問題は、キャラのヘイト管理である。やたら片方ばかりが割りを食う点にある。

一例として漫画では、「Aというキャラの株を上げたなら、次は試練や失態で株を下げる」というものがある。というのも人間はずっと幸運である存在は疎ましく感じ、嫌ってしまう。そこで没落させたり失敗させたりと、物語上での試練を与えることにより、読者がそのキャラに対し同情や共感を抱き、応援し出す心理が出来る。

そしてキャラクターが複数いた場合、特定の誰かばかりを優遇したり、逆に虐めることによって、読者はそのキャラ及び環境に感情を持つ。
読者は話によっては物語が終わるまで悪感情を持つキャラが出来るかもしれない。それは作者が意図して操作している。逆に作者が悪役でも愛して欲しいと考えるなら、例えば意外な一面なり、凄惨な過去なりを語り、読者の同情と共感を買うものだ。

ならばツイステに漫画の作り方は当てはまるだろうか。特定の誰かを嫌わせる旨味はあるだろうか。
答えは否である。
ツイステはキャラクターありきのゲームである。それぞれにカードがあり(今後実装され)、それぞれにファンがいる。能力や出自は千差あれど、ユーザーからの感情は本来好意的にするものだ。
しかし一部のユーザーにキャラは嫌われている。この場合の嫌いは、「個人の好みとして苦手(当然発生する感情)」を通り越して「このキャラがいたら読み飛ばす、ガチャを回さない」意味での「嫌い」だ。
制作的に、「万人ウケしないキャラ」を作るのは結構だ。
しかしユーザーにお金を落とさせないほどの「嫌い」は避けなければならない。
仮に苦手でも、パソストに推しが絡むなら興味が出たり、最低限ツイステという物語にいる登場人物としては認知されなければならない。

しかし私は、私個人は、もう見たくなくなった。
推しに彼が絡むのが苦痛だと思ってしまった。

何故か。これは単にリドルアズール間の圧が一方的であり、双方にバランスよく旨みがなかったからだ。
ユーザーにシステム、シナリオ共に負荷をかける展開にしてフラストレーションを招いた結果だ。
せめて都度のガス抜きないし、台詞でのヘイト管理が平等であったら良かった。
そうすれば、そこまで嫌悪感は抱かなかったかもしれない。

しかしリドルアズール間のやりとりは、八割リドル優位に見えた。
というより、アズールが悪感情に振り回され過ぎている。
先に言ったように六章のアズールは三章の経験を元に成長ないし新たな処世術を得た筈であり、実際六章序盤、所長代理のイデアがオバブロ組の性質を観察していた時、その感想は四章で活躍したアズール像そのものであった。
しかしタワーでのやりとりはイデアによるリドルアズール像を壊すような、破綻したものであった。
もとい立場が逆だ。

因みにレオナジャミル間のやりとりも違和や忌避感はあったが、あれはジャミルが今一度自身の問題を客観視するに必要な問答であり、またラストにレオナの諦めが強調されることにより、今後レオナの心情の救済が来るだろうことが窺えて良かったと思う。
レオナジャミル間ではフラストレーションこそ与えられど、それ以上に納得させられたのだ。あのやりとりが必要なのだと。今後二人がそれぞれの問題に立ち向かう為の布石があった。

しかしリドルアズール間でその感想には至らなかった。
恐らく流れとしては同じか、或いは互いにぶつける事で問題を解消させる意図があったのだと思う。
しかし前提としてレオナジャミル間の「未解決問題の洗い出し」と、リドルアズール間の「主義主張の比較」では意味が違うのだ。仮に問題の解消を目的としたとして、それは作中のような主義を曲げる表現にはならない。この二人は互いに何かを言ったって一ミリも解消しないのだから(自己や親との問題である)、論点がずれている。
重ねて言うがリドルアズール間のタワーでのやりとりは、大概が「個人の主義に基づくプライドの問題」であり、それらは各章にて爆発・解消されている筈である。そんな個人の主張をあの大変な場で、何度も擦り付けては勝ち負けを決めるように言い負かす必要があっただろうか。
ただただ、タワー序盤でのやり取りのように「進行のやりかたが気に食わないからお互いの主張をきいて、ごねる」だけとは出来なかったのだろうか。
(なお折衷案や妥協はあの二人は素直にはしないだろうと思うので、ごねるという表現にしている)
それだけならば、多少コミカルになるし、ユーザーはああまた喧嘩してるなくらいでフラストレーションは抱えなかった。何故踏み込んで、相手の主義主張にまで言及したのか。制作的に間が持たなかったか。二人の口論がヒートアップした結果として、あそこまで片方の主義を屈服させる必要はあったのか。本当に今後、彼らが彼ららしく活躍するために必要なプロセスだったのだろうか。
(因みに蛇足として、私個人はアズールが内面を簡単に吐露するか?という疑問も抱えている。プライドの高い存在が、喧嘩腰であれどただの同学年に幼馴染にさえ暴露しなさそうなナイーブな部分を晒し、あまつ相手に気を許すだろうか。無論全て自己解釈の妄想である)
必要だとしても、言い回しや台詞のチョイスで、負荷を必要最低限に抑えることは出来なかったのだろうか。
個人的に、タワーでの二人のやりとりは、各章を突破してきた筈なのにスタート地点に戻ったような(アズールの場合退行すら覚える)成長の感じられないものだった。
それが私は、一番悔しい。



これが私個人の偏見であればいい。もといこれらは、半ばこれからのツイステに折り合いを付けるための、吐露に過ぎない。

ただ、私の知人やTwitterでの検索結果が、少なくとも幾人かは、あのやりとりが苦痛だと言っていた。ゲームを辞めるとも。それが悲しかった。
7章や今後のイベントで、より自分の愛したキャラの根幹が、壊れるのを見るくらいなら今辞める。そういったツイートに納得してしまった自分が悲しかった。

悲しかった。好きなのに。
杭を飲み込んだ気持ちでゲームを続けるのは辛いのだと思い知った。

勿論、これは私の苦しみであり、無為な迎合や攻撃を私は歓迎しない。みなそれぞれ、良いことも悪いことも、素直に感じ、綴ったり発信したらいい。無論発信したものには責任があるが、そもそも民主の国において、違う意見だから淘汰するという行為はナンセンスだ。一円にもならないしね。

ただ記録だけは。感情を書き留める事だけは続けようと思う。それがたとえ非難されようとも。ゲームに一喜一憂するのも、深く考えるのも。無理をして周囲に倣うような感想を言うくらいであれば、己の感覚を大事にしたい。己の感覚でツイステを楽しみたい。それが趣味ってものだと思うから。


叶うことなら、今後もツイステが楽しめますよう。
以上、一ユーザーの戯言でした。